オリンピック雑感1
オリンピックのシンボルの五輪の輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を意味し、5つの大陸が一つになる平和の意味がこめられている。
しかし、この意味を理解している国やアスリートはどれだけいるのだろう。
過去にはしばしば戦争や紛争でオリンピックが中止になったり、不参加を表明したりする国が出ることもあった。
因みに第二次世界大戦でオリンピックは2回も開催されなかった過去もある。
オリンピックと政治は表向きは別という立場だが、実際は切っても切り離せない。
今回の東京オリンピックでは、ロシアはドーピングのため国名を名乗れず、「ROC(ロシアオリンピック委員会)」という名称で国歌・国旗もなしで個人参加となった。
韓国は竹島や旭日旗、福島問題で国を挙げての反日報道で政治色全開。
台湾の五輪参加では、中華民国(台湾)でなく「チャイニーズタイペイ(中華台北)」となっている。
オリンピックが国家の主義主張の恰好のアピール場所に使われてしまっているのに悲しい気がするのは私だけだろうか。
社会主義国家ではメダルの有無は天と地の差があり人生が変わる。
したがってパワハラやモラハラも発生しやすい素地ができてしまう。
世界のトップを狙うには時間もお金もかかる。
オリンピックはスポーツの祭典という名の一発逆転のライアーゲームのようだ。
しかし、どこの国の選手も苦労と努力を重ね、きっと何かしらを犠牲にしてオリンピックの舞台に立っている。
表彰台の晴れ舞台に立てる選手は勿論素晴らしいが、予選で敗退した選手だって同様に素晴らしい。
メダルは結果でしかない。過程にこそ意味がある…。
異例のコロナ禍で参加してくれたすべてのオリンピック選手にエールを送りたい。
そして未来のオリンピックでは、うがった見方をしないで済む、政治色の全くない、純粋なスポーツの祭典を実現してほしい。
五輪の輪のように大陸別のスポーツの祭典でもいいのではないだろうか…